大阪の「梅田」「淡路」の地名の由来は?

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地名というと、不思議に思うものがたくさんありますね。

○○池とか、○沼という地名は、もともとそこが、池や沼だったというのは、聞いたことがあるのではないでしょうか。

大阪に観光などで訪れると、紛らわしいのが「梅田」という地名です。

そして、もう一つ

関西には、淡路島があるのに大阪市内に「淡路」という地名の場所があるのも紛らわしいんです。

今日は、この2つの地名は、一体どのように付けられたのかを調べてみました。

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「梅田」は「埋田」

梅田は、もともと「埋田」と呼ばれていたのです。

現在では、大阪キタの繁華街の中心である梅田ですが、その昔は、低湿地でした。

大阪は、豊臣秀吉の町づくりによって発展した都市です。

豊臣秀吉の頃の梅田の一帯は、淀川が幾度となく氾濫を起こす海抜ゼロメートルの低湿地だったため、そこを埋め立てて田畑にしたのです。

埋め立てて田畑にしたので「埋田」という地名になったわけです。

では、なぜ今は「梅田」と呼ばれているのでしょう

江戸時代に「埋」が「梅」に美称されて「梅田」になったというのが一般的な説です。

江戸時代には、名前は美称されましたが、実は、梅田の周辺が今のように「大阪キタの繁華街の中心」となったのは、結構最近のことで、明治に大阪駅が作られた時には、まだ、見渡す限り田んぼが広がっていたのだそうです。

ちなみに、「東京足立区の梅田」も、大阪の梅田と、全く同じ経緯で「埋田」が「梅田」になった地名なのだそうです。埋め立てて田畑にした埋田より、見た目も聞いた感じも、梅田の方がいいのは確かです。

大阪「淡路」と兵庫「淡路島」

いつも、同じ関西に、淡路と淡路島があって紛らわしいけど関係でもあるのかな?と思っていましたが、本当に大阪の「淡路」は、淡路島の「淡路」に由来がありました!

どういうことかというと、
菅原道真が左遷される際、淀川を下っている時に、大きな中洲を淡路島と勘違いして、休憩したことから地名が付いたというのです。

そう、この大きな中洲だったところが、今の大阪「淡路」の一帯だったということになります。最初にこの説を聞いたとき、「淡路」って島じゃないけど・・・と、思いました。でも、菅原道真が左遷された時代には、淡路あたりは、淀川の中洲だったということになります。

なんか、淡路の地名の由来よりも、「淡路は中洲だった」という方が衝撃的でした。

地名一つ調べてみるだけで、昔と今でどれだけ地形が変化しているかや、昔の風景を知ることができることを知りました。変な地名や、不思議な地名があったら、一度調べてみると面白いですよ。

今日も ありがとう

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