『他力本願』の意味を知る

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他力本願(たりきほんがん)という言葉は、比較的耳にしたり、用いることが多い四字熟語です。
使うときは、だいたい他人の力をあてにしているや、他人任せといったような、マイナスなイメージを持った使い方をしていると思います。

辞書を引いていただくとわかりますが、この使い方は今や誤りではありません。

しかし、これは誤用されることが多く、それが定着してそういう意味を持つようになっただけで、本来この言葉が表す意味とはニュアンスが異なるものとなっています。

それではこの言葉は、本来どのようなことを表すのでしょう。

また一般的にはどのような使い方がされているのか、今日は「他力本願」の語源、本来の意味、についてお届けします。

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他力本願とは

まずは、辞書にはどう書いているかというと

《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。
《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。
出典元: 小学館デジタル大辞泉
また
① が本義
① 〘仏〙 弥陀の本願の力に頼って成仏すること。
② 〔本来的な意味からはまちがった用法〕 他人の力に頼って事をなすこと。
出典元:三省堂大辞林 第三版
以上のような記載のされ方で、辞書にのっています。
いずれも、②の意味は、「誤用が定着」や「本来的な意味からは間違った用法」などと表現しつつも、今やこの意味で使われることが多く、この言葉の意味になってしまっているのがわかります。

「他力本願」本来の意味

さきほど、辞書に記載の意味

「自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。」

「弥陀の本願の力に頼って成仏すること。」

を見ればわかると思いますが、普段使っているイメージとは、全く違うのが本来のこの言葉の意味です。

「他力本願」は、もともと仏教用語で自己の修行の功徳で悟りを得るのではなく、阿弥陀仏の本願によって救われる」ことを表すものです。

阿弥陀仏の本願というのは、阿弥陀仏がおこした「すべての人を極楽浄土に往生させるという誓願」のことをいいます。「他力本願」は、自力の修行によるのではなく、阿弥陀仏の本願に頼り成仏を願うことをいい、これは「仏様を当てにする」というのではなく「阿弥陀仏の本願力にまかせて成仏するという願いが込められたもの」なのです。

さいごに

一般的には「あの人は何をするにも他力本願だ」とか「他力本願で何かを成し得ても、一時しのぎに過ぎない」など、「他人を当てにする」「人任せにする」などの意味を込めて使っていますが、実はもともと全く違った意味を持っているのです。

そう言ってみたところで、

すでに辞書にまで、誤用されてきた意味が記載されているため、今までどおりの言葉の使い方をしても支障はないと思います。

ただ、正しい意味を知っている方が相手の場合は、違和感がありますし、自分も、もともとの意味を知っているのに、誤用を多用するのはなんとも変な感じになってしまいますね。

ほかの言葉に置き換えてみたり、

相手や場面に応じて使い分けるのも良いのではないでしょうか。

今日も ありがとう

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